コロナ禍の中で

飴屋三朗です。

現在、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威が世界を覆っています。
生まれて初めての静かなるG/W。

いやはや、参りました。
人間ってなんて無力、儚くも。

文句を言う人間、言われる人間
まさに、二極化

それに伴いウイルスの次に怖いのが
またこれも人間ですな。

現在、当店を含めた
系列店はすべて

ゴールデンウィーク中は
感染拡大防止のため臨時休業中でございます。

corona.jpg
(※休業前、最後に撮ったマナミちゃん。)







もちろん、内心
超がつくほどビビっておりますよ。
(いやマジで)

頼りない政府、見えてきた人間性
もう、ストレスでしかございません。

昔のSNSを見直すと
なんて平和だったんだろう、そう思います。

みんな、平和に慣れすぎ
当たり前に慣れすぎ

でもそんな原因不明で対策不能な毎日が
延々と続いたとする…

いつしか、インフラやインターネットや電気
そういったものが麻痺したとする。

真夜中になっても点灯する気のない街
来る日も、来る日も。

いつかは終わると思っていたのに
何年も続いたりする

そうなると
きっと

いろんな人が
いろんな人に

伝えたいことを
伝えられないまま
終わる可能性が高い

でも、コロナではない時でも
あまり変わらないことだとは思うけど。

コロナでなくなった方は
無情にも、即火葬

さよならを言う暇すらない
もしかしたら数十年後にはもう
さよならという言葉もなくなっているのかも知れない。

黒電話という存在を知らない世代がいることを
ここ最近知ったほんの少しショックな事実。

まあ、実際、最近では
リサイクルショップとかでしかお目にかかれない。
それは幸福で孤独なインテリア。

いつしか、今持っている
自分たちの道具も

いつかはアンティークに変わる。
または、骨董品として。

別れが全く別の言葉で表現されるであろう時代が間もなくかも知れない。
そういえば、ずいぶん昔、祖父に聞いたことがある。


葬式は、亡くなった人のためにではなく
残った遺族のためにするものなのだと



その理由が今ならなんとなくわかる。
そんな禍中に唯一思う事。

色々諦めた時とか
大事にしていたものをなくしたりとか

そういうとき


静かに話せる相手が
ひとり、いたらいいなと思う。


相談するわけでも
されるわけでもなく

否定するも
肯定するもなく

褒めるわけでも
貶すわけでもなく

ただ静かにどちらかがぶっ壊れるまで話すだけ。

南の島の、サンセットの美しさに、浜に群れる島民のような
そういう、アレな心情なのだ、今は。





コロナがはやく収束することを強く願います。
亡くなられた方にはご冥福を。








アーメン。

襷Ⅱ。- tasuki2 -

飴屋三朗です。

久しぶりに登場かと思いきや…
ええ、ふたを開ければ

尊敬するノムさんの他界
猛威を振るう新型ウイルスコロナ
そして間近に控えた東京オリンピック


世間はいつでも
けたたましく動いておりますなあ。

とりま、最近はニューカメラをひっさげ
カメラ熱が再加熱している三朗

特にムービー
このあたりに関して

再びギアを入れなおそうと意気込んでおります。
それはそうと、最近当店こと「CANDY」の霧島国分の姉妹店
キャンディビーラブのキャスト二名の撮影を行ってしまいました。

ちらりと公開



この子はミクルナちゃん。
最初会ったときは「不思議な名前」子ちゃんでした。

彼女のすごいところ、キレイな目力。
吸い込まれそうな…、そんな瞳にフォーカスしてみました。

そして次。



キャンディービーラブのラムちゃん。
略してビーラム。

ビーラム、ビーラムフォーエバー的な女神。
見てて気持ちの良いボディラインと、その細すぎるラインには似つかわしくない巨峰。

この二点に絞ってみました。



さて、ここからうんちくですw
動画には、大きく分けて二種類が存在します。

ひとつめは、三朗が撮る動画
ふたつめは、それ以外だ。

なんてローランドぽく言うと思いました?w
いや、言っちゃったけどねw

マジメに言うと実はこうなんです。
現実の或るもの切り抜くいわゆるドキュメント。

南アフリカの住民の生活を覗いたり
災害現場を移したり、いわゆる報道的なもの。

そして二つ目が
ないものを映し出す、作り出す。
映画だったり、プロモーションビデオだったり。
それがそうです。

フィクションか、ノンフィクションか
その違いです。

命の現場とか
NHKでよくやるのが、ノンフィクション

そして、無意味に人の刺激を与える
ディズニーや、SF系のフィクション

今回のミクルナちゃんもビーラムちゃんも
もちろん、ノンフィクション。

ありのまま、そのままを
切り抜いた、それだけ。

そう、ファクト、イズ、ファクト。
事実、事実、事実なのです。

でも、そんな三朗は
ウソが大好き。

一日に三回以上は必ず
ウソをつこうと決めている。

三朗は音楽が好きだ。
奏者時代もあって

映画も好き
ハリーポッターを読破した

昔読んでた空想絵本も
映画になった

そんな大好きなそれらは
全て立派なウソである

そんなウソに
みんなは心を弾ませ、時には泣く。

嫌なこともいつかは報われる努力信者。
仕事は自己実現に寄与するという労働信者。
いつかは運命の人に出会えると思っている運命論者。
それらすべての人は、信じたくなるウソを信じて今も全力で生きている。

なんてかわいらしい。



そんな三朗も信じたいウソを信じ
今日も3回以上ウソをつく用意をしている。



信じたいウソを信じて生きる。
それでいいのだと、信じたい。

ramu.jpg



では、「霧島BELOVED」で素敵なアバンチュールを。





■飴屋三朗

Have a good christmas

三朗です。




今回は早めに筆をとりました。
クリスマスイベント、ええ。




初日の一発目から
60分無料大当たり

え…?マジで?
受付の担当者

出すぎじゃないですか?
まあ…、全ハズレはないからな…。

しかし、ある女の子は
全スクラッチをアタリでで返す大快挙。

その日は連覇。
いや、しなくていいよソレ。

逆に困るわ、マジでw



逆にハズレてあるの?
と言われる始末。

もちろんまたその逆もありますよw
あるキャストさんからはハズレのとき
全部ハズレじゃないの?

と不信がられて、すべて削ってアタリを発見。
あるんですよ、アタリ、絶対。

でも、正直
ちょっとビビる三郎。




まあ、でも
ディズニーランドチケットや
旅行券が当たるわけではないので

ね。


三朗もつねに
楽しい何かを探し回っています。

とはいえ


世の中は24時間年中無休営業の
ディズニーランドのようなものですから

どうせならとことん
楽しみましょうねw

ポジティブに生きろとか
失恋の話とか
いろんなアドバイスが飛び交う
言葉のイリュージョン

三朗だって
できれば笑って暮らしたい




それでも笑えないことは起こる。
スクラッチのハズレのように…。





おい、オレ
何が、あった。







クリスマスイベント
まだ、まだ、続きます。



scratch.jpg


ハズレチケットは
口コミを一回でも投稿いただければ

次回2.000円オフチケットとして
ご活用いただけます。






では、よいクリスマスを。
Have a good christmas。

2019.Xマス。

どうも、飴屋三朗です。
何か月ぶりでしょうか…w

さて、今回出てきたのは、そう。
クリスマスイベントのことで登場です。

いわずもがな
毎年恒例の
この行事

しかし






今年はいつもと違う(はず)
大盤振る舞い(冗談ヌキで)
(まじ)赤字覚悟

※詳細

1211_PC.jpg

はい、ムービーもありますよ。
※最下部参照

ということでね
久しぶりのオフィシャルブログ投稿ということで

多少なり、真剣味が
マシマシです

じゃあ何を
書くんかい

そうですね、少しだけマジメな話。

ご存じでしたか?
プレゼントっていうのは
実は…


あげたものしか
残らないという事実。

そして、できれば
そのプレゼントは
王女様であっても
総理大臣であっても
ホームレスであっても
使えるものでなければならない。


その通りだとは思いませんか??
そして、贈られる側のときは楽でいい…

贈る側となると
事態は一変する。

好き嫌いも
わからない

あれでもない
これでもない
一体どうせいっちゅーねん。
やっぱりベストなのは現金!?

いやいやいやいや。

贈る側は
深刻だ。


もう、恥も外聞もなにもかも捨てて
欲しいものをなんでも言ってごらん

なんて言った日にゃ
外交的に

欲しいものなんて
わるわけないでしょw

と微笑まれて
こちらが頭を抱え込むのがオチだ。

できればお金をかけたい…
けど、かけすぎても重い。

かといって
かけないのはおかしい。

けど、思い出すのは
本当に好きな人からもらったものは、なんでもうれしかった。

そうよね?
ちがうけ?

値段ではない。


今も、昔も変わりなく。
だから、堂々と選んで、堂々と渡せばいいのだ。

そしてきっと
それだけだと伝わらないから

手紙も添える。



どんな贈り物も
手紙には勝てなかったりする。

このご時世に
手紙なんてって、立派な時代錯誤だ。

そう、残るのは…
あげたもの。

手紙は捨てられたとしても
それを捨てた本人はきっと永久に忘れられないはずだ。

亡くなったあとに残るものは
鳥なら羽
牛なら頭蓋骨
人間なら、名前だ。

名前すら残らない人間は
星の数ほどいる。

自分の名前も
ググってみた。




もちろん、ヒットなし。
嗚呼…(*´Д`*)、、



結論。


手紙も贈り物も
相手のためというより
相手と自分が存在していたという事が
確かに今に残すために存在しているのだと思う。


さて、遅くなりましたが…
告知動画です★




いつになるかわかりませんが
またお会いしましょう。



よき、アバンチュールを。
・飴屋三朗

女心秋空


久しぶりに「素材」が手に入りましたので
オフィシャルブログで筆を執ることに

早速ですが、アップw

鍵付き用写真_191026_0002


撮影補助の最後のほうで見た景色の切り抜き
何も感がえず、無意識の行動の向こうが

実は一番素敵だと
誰が思うのか。


飾らない、意識しない
[そのまま]感


実はソレを作ろうと
いつもの撮影に奮起していることは
ほぼ、間違いありません。

作ろうと思って作れるものではありまへんのです。
あまりにも多く、ぜいたくにも見過ごされていくその瞬間
そして残酷にも通り過ぎていく時間。

その瞬間を見つけて、気づいて景色ごと切り抜く

鍵付き用写真_191026_0001


もはや、匠の領域ですがよw
ナチュラルの美しさ

大人になるにつれ
その良さがわかり始める初老

さて、ね…


年末がじわりと
迫ってきておりますね

秋、そう


三朗の一番好きな季節。
本物シーズン


どうして秋が好きなのか
そういわれて話し出すと止まらない三朗

夏ほど大胆でなく
冬ほど刹那くなく

すれ違いも切なさも
すべてがちょうどいい季節

矛盾すらも愛せる






それが秋








意味わかんねえw、と
思われる方も多いと思いますが



海に行っていた頃は
夏が好きでした

雨が降っても
雷が鳴っても

海へ出てました

でもその夏より
秋が好きになった節目は

やはり、落ち着きを取り戻し
飾ることをやめ、自然の良さを知り
その灌漑深さに身を任せること。

とは言っても夏になれば必ず花火大会はあります。
夏が嫌いだなんて文句、三朗には百年早い。

誰かと行く花火も
断られて一人で行く花火も美しさは変わらない。


だけど、誰でもよかった夏
思い出の象徴である季節

一緒に花火を見ている相手が
どうでもいい相手だということをお互いが察していながらも

それをただ受け止める現実






そんな「夏」


夏が、ひきちぎれるほど切ないわけがない
切なくてあってもいいとは思う

でも、そんなわけない。





切なさに心を揺らされてもなお、それを愛するのは
切なさが自分自身を、ほんの少しだけ殺してくれるからだと思う。


それが秋。



寂しくないと言い聞かせる秋の寂しさ
そして、何もかもが絶える寒い冬の到来。




むなしさが肺の底からこみ上げる幸福感の中で
過ごす場所、そんな場所を持っているか、いないか。




若かったころの賑やかな海より
十一月を過ぎた静謐で安全で心地よい海




そして来るクリスマス
誰かが愛し誰かが憎む年末のイベント


そして、忘れたいことなんてないのに
始まってしまう忘年会



会いたいと思っていても
会いたいと思ってもらえていないであろうこととか
なんかそういったものを含めて「秋の良さ」なんだと思う。






ご理解いただけましたかなw
さて、ぞんぶんに秋を感じましょうね。






…え、この写真誰かって?

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統括の、…嘘つき。

Author:統括の、…嘘つき。
はじめましてd( ̄  ̄)☆キャンディグループ統括です♩

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