さようならの時間。

言葉だけでは表せない日もある。
そんな日は人生にそうそうない。

だって、退屈をかきけすために
日々時間を消費しているから

みんな必死に、日々を過ごし生きている。

冒頭に重いと
叱咤されるかもしれませんが
はい、二月ぶりの三朗ブログ。
※サボってごめんなさい

おひさしぶりでございます、もちろん久しぶりなだけに
長ーくなる可能性もあります、ご容赦を。

さて、話は変わり、昨日令和3年5月29日をもって
当店のキャストの一人が卒業する

僕らの業界では
そういうのは日常茶飯事なのですが…

昨日ばかりは少し意味が違ってて
ぶっちゃけると「モナ氏」なのですが

ある意味長いCANDYの歴史の中で
ひとつの「区切り」を感じさせてくれたというは間違いないでしょう。

ほら、その証拠に
こんなスタッフからのメッセージV(動画)まである。




はい、心当たりがあるとは思いますが
これまで信じていた映画や音楽
言葉や誰かの存在がまったく響かなくなる
そんな瞬間が生きてりゃ人生には必ずあるものです。

もちろん決して大衆的なエンタメならず
上司や先輩、仕事そのものや同僚
友達や場所によっても同じ。

そしてそんな自分に驚き
戸惑い、黙殺してしまう。

でもそれは慣れたからでも
冷淡になったわけでもない
もちろん感情が死んだわけでもない
それは、あなたの心がいきなり歳をとったから。

だから必要以上に悲しんだりすることはないと思いますし
そしてもう一つ、これまで信じてきたものはあなたの故郷なんです。

いつも故郷を思い返さないでしょ?
何かを失くしたと思ったら、あなたの故郷に帰省することをおすすめします。

さて、少し脱線してしまいましたが…w
そんな一人の旅立つキャストを後ろからそっと見ていてまた思う。

サービスの一側面として彼女から感じられたフレーズ。
※僕の勝手な解釈なのであまり追及されないよう…w

言われたいことは言ってあげたらいいじゃん
どんどん言ってあげようよ、そっちの方が幸せだよ
してほしい事もどんどんしてあげた方がいいよ

欲しがるより「与える」を先立たせる
あげるから返ってくる

信頼するから信頼される
語る事で語られるように

自分のいる世界を面白おかしくしたい
その環境を愛でて育てた姿

誰かのせいにしない、最後の責任は全部自分
その集大成がこのムービーであるかのように感じられる今日この頃なのです。

いつもなぜか彼女の前では
誰もが年齢を忘れるような、そんな気も致しますねw

さて、そろそろエンドとなります
いつか彼女のCANDYのリストはいつか「Not Found」となるわけですが…

いくつかのSNSで惜しむ声や寂しいの声が
チラホラとささやかれています

となるともう寂しさの根源とはなんだろうか
すべての人が研究者となり、答えを探し始めます

ケンカするのは期待したから
期待したのは甘えていたから
甘えていたのは信頼していたからだけど
怒ったのは、結果「寂しかった」からであり

結局その繰り返し
彼女はほかにいないし
ほかも彼女にはなれないという

当たり前の絶望

あ、これがそうだったんだ、と気づく。
その繰り返し。

その「寂しい」と理由があれば
正直何をしてもいいとオレは本気で思っている。

寂しければ人に会いに行っていい
キャンディにだってほかのお店にだって電話していい

なんなら家出したっていい
どこかに飲みに行ったっていい

全く知らない年上に説教されたっていい
悪そうな人に一夜だけ騙されたってもいい

寂しいという理由で
深夜の三時に

動機でなにしたっていい
既読無視も可
いたずら電話だって良し
長文を書いて好きな人に送ってもいい

寂しさと戦ったって
成果なんて実らない

寂しさに完璧に敗北する人間が
夜中の三時過ぎの天文館近辺にいるはずです。



え。俺じゃないかって?


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統括の、…嘘つき。

Author:統括の、…嘘つき。
はじめましてd( ̄  ̄)☆キャンディグループ統括です♩

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