2018/01/22
フィルム。
飴屋です。先日、あるレストランで
和式のトイレのみの場所に出くわす。
いやあ、何と言いますか
時代を感じ、切なさを感じ
その他もろもろ感じました
ビジュアルとか、臭い面とか。
良い体験でした
昔はこれが当たり前だったんだ
昭和の人間、改めてスゲエ。
さて、それはさておき
ロングタイムスリープを
久し振りに体験。
なんと、久し振りに休日の予定もなく
「目覚ましをセット」せず
就寝するという暴挙に出る。
就寝時間22時。
起床した時間は、なんと。
お昼12時半
寝たぜー、俺。
さて、ね。
今日はフィルムカメラを手に
外へw
色んな景色を見ながら
彷徨うこと1時間。
決してヒマジンではありませんよ
写真の神髄の「勉強」をしております。
なら写真の神髄てなによ?
と言われたら。
ええ、カメラを持ては
たちまち「作家」であり
景色を切り抜く「表現者」となりもす。
ああっ、せごどんの影響がココで出たー。
大河ドラマのせごどん
毎週見てます
あの今は使う事のない
言葉に影響を受ける三朗。
息子も「うんまかぁー」と言い出す始末。
塚地の熊吉役の鹿児島弁
妙にしっくり感じるのは
オイだけやろかい。
ゆるしてたもんせw
本題に戻りもす。
次にすすみもす。
真面目に読んてくいやい。
ああっ、もうダメだっ
鹿児島弁ワールドに
いってしもたー
もう返れもはん
おんしだけでも先に
行ってたもんせ
もすもす
いいえ、決してバカにしてませんよ。
影響はこれほどまでに大きいんです。
戻りましょうw
カメラを持てば
すでにカメラマン、つまり
表現者なのです。
いいですか
ここからが肝です。
カメラで空間を切り抜くだけなら
誰でも出来るし、むしろ
無駄切り無駄写し。
何に使う、何を思う。。
カメラを持つのであれば
目的はひとつ。
「伝えたい事がある」
それを切り抜くことが
多分、神髄なのだと思う。
撮らされる写真は
もはや苦痛であり
プラグラム的カメラマン
もともと、思い込み激しく
オタクでロマンティストな三朗
デジタルでスタートはしたものの
今、フィルムを手に歩き
見つけ、感じるもの。
フィルムでの写真
なんの得があるのかと言いますと
デジタルで出来る事と
フィルムでしかできない事
フィルムでの経験を
デジタルで生かすことは出来る
しかし、デジタルでの経験を
フィルムで生かす事は
多分、ない。
むしろ、謎だらけだw
デジタルは便利
でも、醍醐味は
確実にフィルムにある。
ピントも手動
じっくりと被写体に対して
向き合う時間も手間も倍以上。
そして、作品への執着
一枚の単価が別次元
失敗は、そのまま
出費へと、間違えば浪費
故に、無駄打ちを避ける。
そう、生々しい言い方だけど
間違えれば「金と時間」をどぶに捨てるのだ。
デジタルでのシャッター
フィルムでのシャッター
切り方と重さが
まるでちがいます。
ISOもない
ホワイトバランスや
オートフォーカスも
プレビュー画面もない
頼れるのは、経験値と創造力のみ
まさに、人事を尽くして現像を待つ
それが「フィルム」の良さ。
もちろん、決して
デジタルを否定してるわけじゃないですよ。
もし、同業者で
女の子の写真を
フィルム写真だけで
勝負するツワモノがいたら
ぜひ、見てみたいものです。
さて、今日の女の子
先日、紹介した
レイニーさん。
最初にレイニーちゃんに会い
連想したのは
ファティマ・レイニー。
まさに、彼女のヒット曲
ラブイズアワンダフルシング
曲同様、とってもアップテンポで
キレのいいダイナミックなノリが
ホントにピッタリなカンジですw
さ、次のせごどん
「新しき藩主」
もう、キャスティングが贅沢過ぎる
ケン・ワタナベ
カッコよかぁ。
今日はここいらで
よかろうかいw
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