2024/01/29
「正しさ」は脇に置いて。
月曜です、先週はすみません、仕事ですっかり日が暮れてしまって書く気力が湧きませんでした。
そんな自分を許したい、今日この頃(だまれ)
さて、私ごとですが、最近は撮影の楽しさが
増して仕方がありません。
やっぱり答えは一つじゃない
正しさだけが答えじゃない
そういうふうに
思います
先週の撮影の現場ですが
ええ、新しい玩具(道具)をひっさげ撮影に突入したのです…
そ、撮影は空間を切り抜く作業
どんな空間を切り抜くべきか
その空間は必要かどうか
それはまるで「人間関係」のようでもあります
目に入るもの、情報の全てが
メッセージであるように
そのメッセンジャーとして
シャッターを切る責任の重さったら
ねえ。
わかるよね、そのシャッターの先の空間に用事がある人に
ちゃんと伝わってビンきちゃうかどうか
それともシュンとしちゃうかどうか
そら責任重大ですよマジで
もちろん数々の失敗は
ありますよ、いえいえ、ありすぎますよ
苦い思いでビターで大人な時間
ありあまるほどに体験しましたよ
そしてこれからもまたきっとあるのでしょうよ
てへ。
んでもって、そのとき持ち出した玩具がこちら
ええ、間接光というやつです
ドラマティックな絵は
光と影が必須
光の扱い方、見え方が
とっても大事
光の種類も強さも弱さもあんばいが難しい
わからなすぎて苛立ちを覚える瞬間もある
そういう時は泣きたくなるよ
自分の力のなさと知識や経験の弱さにね
ぴえん。
でも、正解に近い切り抜きができた瞬間って
撮り手と被写体と一緒になって大はしゃぎ
二人で作品を作る空間は
神聖であり、高貴です
いっつも緊張します
顔は笑ってても心は引き攣ってます
どうしたらいいものか
どうしたらいいものか
どうしたらどうしたら
(エンドレス)
カメラを持って
ずっとずっと
そればかり⏦
「ダメだった」
そんなシチュエーションを脳裏に浮かべ錯綜しながら
また誰かと対峙し
シャッターを切る
こんなふうに
またこんなふうに
切り抜いた絵を誰がために
どんな空間を提供すべきか
プロに「できない」という言葉は
あってはならない
その道で「できない」がないからプロなのだ
ああ、プロじゃなくてよかった
でもプロとしての意識は
していたいと思う
とにかく、今もこれからも「女の子を稼がせる行動」を続けていかなければならないと思う今日この頃。
間違った時や、意見があれば、合理的に対応して参りますので、叱咤してください。
ちなみに…
決して「マゾ」ではございませんw
プロといえばそうだ、高校の時の教師が言ってた「ヤクザと極道は全然違う」という話を思い出した。
教え子に極道の方がいらっしゃったようで、居酒屋で鉢合わせてお前は極道なんかになってホンマに、と説教をしたら、極道の教え子に逆に説法をされてたたみ込まれれたという話だ。
(ちなみになかなかの年齢の先生でしたので、なかなかの昔です)
その時鮮明に残っている
先生から発せられた教え子のの言葉がコレだ
「先生、ヤクザと極道を一緒にせんでくださいよ、極道は人の道を極めた職業なんですけん」
ブルっとしたよね、高校生なのに。
さて、みなさんは何を極めて参るのでしょうか♩
長くなりましたがまた来週☆
明日くらいからあったかくなるそうですよ(´ω`人)♩
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