さよなら2月。

今年の二月は例年の二月と全く異なっていて
過ごす内容、考える事、行動や習慣すべてが

まったく変わってしまった
そんな二月の最後

久しぶりに筆をとる三朗
実は、ブログを書くタイミングはいつも

何かしらの写真を撮った時
この世界のどこにもない
僕だけが撮った写真が残るとき

それがそうでした
ま、そんな事どうでもいいかw

という事で今回撮影させていただいたのは
とつぜん舞い降りたキラキラエンジェル「オト姫」

otoy02.jpg


彦星になれる事は一生ないのだけれど、久しぶりに執筆してみようかと思う。
はじめに言っておくけど、三朗は春が嫌いであり、秋を好む漢。

突然だけど、中学三年の時の美術の先生であり担任でもあったある女性教師と
不思議な話をたくさんしたことがある。

美術の先生というのはだいたい脳内が「ぶっとんでいる」という定義を持っている俺
ぶっ飛んでいるというよりは、人と大きく違い何かしらが超越している存在だと思っている。

だからそんな人に「いろんな質問」をすることが大好きだった
なぜか、普通の答えがあまりなく、ただその時間が不思議で面白かったから

そしてもちろんその美術の先生、STもオレの事を「超越している何かしら」だと思ってくれていた
いつも「三朗君、君ホント面白いね」という誉め言葉は毎日うれしかった。

だから興味も持った
しかし初めに言っておこう

ぶっちゃけ、美術の先生とは名ばかり?とは言わないが
ビジュアルは先生の専攻である美術とは大きくかけ離れてて

好きになるとか、恋に落ちるとか
そういうのは一切なく

むしろ、旦那さんはどうして、いなだな〇き風のこの人の事を好きになったのか
それすらいまだに三朗の脳内に不思議という三文字を浮かばせる

そして、もちろん破天荒なオレはその先生に
子供作らないんですか?

と尋ねたら

うん、作らないねw
欲しいと思わない、なに?三朗君は先生に子供作ってほしいの?www

はにかみ笑いながら
先生と三朗の変な会話は今日も続き…

あるときの俺ターン

ねえ、先生
何か好きなことやおすすめって俺にありますか?

は?

なんでもいいんです、打ち込めるもの。

は?先生がそれを言うの?

はい。

そりゃあ、好きな人や物はいっぱいあるけど…
三朗君は三朗君の好きなことをすればいいと思うよ、先生がコレがいいと言っても三朗君は大好きになることは絶対にないし、それよりは先生の知らない事をやったほうが絶対いいと思う。

と、先生は笑った。



結果、絵が上手だと言われた俺だったが、選んだものは筆ではなく「楽器」だった。
眼鏡のケースに彫刻刀で六弦を掘り、授業中にコードを覚え、バッキングにいそしんだ

…結果、ダメだったんだけど




今思うと、先生が本当に大好きなものは
恥ずかしくて知られたくなかったんだろうなと反省している。

俺だってそうだ

本当に、心から好きなものというのは恥ずかしくて知られたくないし
ずっと心の中に秘密にしておきたいと思っている

その人の大好きなもの
おススメのものを聞くというのは

おそらく「告白」に近い
好きなものを知ろうとする、だから写メ日記とか
そういったちょっとした誰かの本音に人は興味を持つのだと思う。

そしてその人の心にちょっとでも近づこうとする
ちなみに、別に恥ずかしい事ではないが

オレは、温泉が好きだ
サウナはもっと好きだ
その後の冷たい水風呂は最高だ

そして、その後の酒とつまみがあれば人生最高の瞬間を迎える事が出来る。
そこに最高の音楽と風景と人が重なれば人生はバラ色である。

しかし、それはあくまでも人に言える事で
本心ではない可能性が高い。

本人が言うのだから間違いない。



正直、好きなものを人に聞くのって失礼だと思っている。
試験前に必死に勉強したノートを借りる行為と同じで…、その人が必至で頑張ったものを簡単に教えてもらうというのは無礼だ。


本当に本当にその人の好きなものとは
神聖不可域で尊厳と孤独に満ち溢れているものだ。

だから人は全員「自分を愛している」だからこその
自分を否定されたりすると神聖不可域で尊厳と孤独の世界はあっけなく崩壊する。

ここで一つ気づきべき。


好き、という話をしてきたが、好きに近い「憧れ」という言葉は
似ているようで違っていて、違うようで似ている。

好意を持ってしまった気持ちはなかなか消えない
敬意をもってしまった気持ちも滅多なことがない限りは消えない

相手が「尊敬に値するもの」である限り
口論というものは発生しないのと同じで

だから自分自身と口論する人なんて滅多にいない
自問自答という言葉でそれを促す言葉は存在するが

自分で自分を否定している人がいるなら
その人はなかなか凄い

そして、好きになってしまった対象がいるのなら
同時に「どこまでも傷つく覚悟」を持っていなければならない

だから、人に好きなことを聞くときオレは
どこまでも傷つく覚悟があるので好きなものを教えてくださいなんて言うと思うか?

だからオレは「嘘つきの道化師」として誰かにずっと笑っていてほしいとただ願うだけなのである。
憧れるだけで憧れになれなかったと有名なフレーズのとあるアーティストの歌詞にもあるように…

憧れは傷つきたくないという距離であって
好きという気持ちは傷つく覚悟の精神そのものである!”とここで唱えたいと思う。

ビートルズがライブ中に階段から足を踏み外して大まぬけに大ゴケするのを
当時のファンの誰が期待するだろうか

三朗の好きなフレディ・マーキュリーがマイクスタンド振り回して
顔面に当たって悶絶する姿なんて、憧れが傷つき、俺も傷つく。
憧れってそんなもんだ、好きなバンドの解散を祝えない人たちが本当のファンでないように。

思ったのと違う、思ってたのと全然違う。
そんなの全然愛じゃない。

こうあってほしいと思う気持ちも愛じゃない。
だからいつもオレは周りに「本当の礼儀とは誰にも何も期待しない事」だと教えている。

結果、その期待するとやられるのはコッチだ。
そして、勝手に期待したのもコッチだ。

カッコいいから
可愛いから好きになった

それと同時に、冒頭で話した「覚悟」も持ち合わせて
好きなってほしい。

カッコよくない部分も
可愛くない一面も同時に愛してほしい

憧れと好きは全然違う、という事をここで一つ論じておこう。
さて、ここでもう一度。


アナタの好きな女の子は誰ですか?w

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はじめましてd( ̄  ̄)☆キャンディグループ統括です♩

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